Japanese sumi ink & acrylic
Japanesque
日本の伝統美術が西洋を沸かしたのは、19世紀中葉、日本初参加のパリ万博においてであったことは、つとに知られている。その際、出展作品搬入に使用した包み紙に多量の浮世絵版画を用いたことが、結果として当時のフランス新興(あるいは異端)画派であった印象派アーティストを中心に日本ブームを興し、やがてそれはジャポニスム運動として西ヨーロッパ全土を席巻することになるのだから、実に興味深い。
ところで、ボクも凡庸な美術家の一人として、またイギリスに暮らす日本人として、日本的なものへの愛惜、慕情、恋慕なるものが心のうちに常にあるわけだが、それは日本人の西洋に対する憧憬とは全く別の感情だ。思うに、西洋美術が常に思想的『大きな物語』を範とし、かつこれを超克しようとの試みの中で変遷してきたため、西洋主導の現代美術の流れは極度に理論的であるのに対し、日本の伝統美術は、中国に多くの恩恵を受けつつ独自の美学を構築、700年余に及ぶ“刀の支配”、そして300年余に及ぶ鎖国時代を通して昇華されてきたものの、その固有の歴史がそうさせたのか、思想や哲学といった思弁的側面をすっかり脱色し、時代や風物、自然美などをモチーフにその表面を掬いとる美学に徹してきた観がある。それは息を呑むほど美しく、しかも華奢だ。その美学そのものは、はからずも西洋思想および美術史の『メメント・モリ(汝、死を思え)』に通底している。しかし、その美学にはまた、人間の見るという行為への驚嘆すべき省察がある。
およそ眼という器官をもつすべての生物のうち、人間だけが保有する行為、それは、「見るという行為の主体が自分自身であることを知っている」ということだ。この自己認識の眼が捉えた対象は、それが時代であれ風物であれ、あるいは自然美であれ、見たいと欲望した対象のみに限定され、これを象徴と様式のうちに視覚美術として昇華してきたのが日本伝統美術であると、ボクは考えている。そのミニマルかつシンプルな様式美こそ、150年前に西洋を沸かせたものの正体ではなかったか。日本伝統美術へのオマージュとして、また現代美術にその意義を問うものとして、ジャパネスクを位置づけてみたい。